福岡文化連盟の母体となった九州文化推進協議会の結成。昭和37年12月、左より原田種夫・森脇憲三・安永良徳・伊藤研之・瓦林 潔・楠根宗生・後藤一郎・森 俊雄・待鳥喜久大の各氏(森脇憲三理事長提供)
福岡文化連盟について
1965年、福博の有力文化人、政財界人の呼びかけで発足した福岡市文化連盟が前身。
会員は原則として個人加入で、福岡市および周辺都市在住者。
現会員数393人(令和5年8月30日現在)。
ほかに企業・団体など賛助会員35社(令和5年8月30日現在)が加入している。
部会構成
第1部 邦楽・邦舞・民謡・民舞
第2部 吟剣詩舞道
第3部 華道・茶道
第4部 音楽・バレエ
第5部 映像・演劇
第6部 美術
第7部 文芸
第8部 生活文化
第9部 青年部
第10部 特別
第59期 福岡文化連盟 役員
名誉会長 髙島 宗一郎(福岡市長)
理事長 柴田 建哉
副理事長 安永 幸一
理 事
第一部会 藤間 勢之助、米村 旭翔、瀧田 綾子、鷹尾 維教
第二部会 笠井 栄俊
第三部会 片山 健、後藤 覺徹、志村 宗恭
第四部会 楢柴 躬生子、馬頭 徹夫、久世 安俊
第五部会 田中 はくどう
第六部会 宇田川 宣人、榊 孝陽、師村 妙石、光行 洋子、武田 義明、松永 楠生、中村 信喬
第七部会 田島 安江、桜川 冴子、大石 靖子
㈱西日本新聞社 塚﨑 謙太郎(くらし文化部長)
監 事 都合 雅彦、 柴田 耕志
顧 問 多田 昭重、舟越 節、豊島 栄陽、池田 昭雄、花田 衛、吉里 哲夫、古賀 透、本山 道徳、阿比留 初見、榊 晃弘、小川 規三郎、横尾 和彦
事務局長 北里 晋(専務理事)
福岡文化連盟の歩み
福岡文化連盟結成の前史は昭和37年10月1日に、瓦林潔九電副社長、楠根宗生西鉄社長、後藤一郎福銀副頭取、森俊雄西相銀社長、野口義夫西日本新聞社長、待鳥喜久大協和ビル社長の6人の財界、報道界の代表と洋画の伊藤研之、彫刻の安永良徳、作曲の森脇憲三、作家の原田種夫の4人の芸術家をメンバーとして「九州文化推進協議会」が結成された。
会は、翌年10月7日の第14回協議会まで話し合いを重ね、美術館・博物館の建設、文化行政のあり方と充実をはかるなどのほかに「エンジニアにしてアーティスト、アーティストにしてエンジニアといった人材」を求める発想で「国立九州芸術工科大学」設立を実現させた。
この「九州文化推進協議会」の精神を継承し発展させてくれるだろうとの願いを込めて、より広い市民的な組織として「文化連盟」設立の要望書を昭和40年8月20日に福岡市長へ提出。
同年9月17日、各界代表約50名が集い「福岡市文化連盟」設立総会開催。
「本連盟は福岡市における市民文化の育成、発展をはかることを目的とする。そのために文化事業の主催、後援、他地域との文化交流などを活発に行なう」という趣旨の規約が満場一致で可決。 名誉会長に阿部源蔵市長、会長に瓦林潔氏、理事長に森脇憲三氏、理事に伊藤研之氏、原田種夫氏ら12名を選任、『文化連盟』が正式誕生した。
と共に「九州文化推進協議会」は発展的解消を遂げた。
昭和41年7月14日、第2回定例総会開催。部会構成を伝統芸術、音楽、演劇映像、美術、文芸の5部会(設立当初)とする、機関誌発行が決定した。